立浪和義さんと言えばミスタードラゴンズの愛称で人気を集めた選手である。
そんな立浪和義さんの高校時代について書いていきたいと思いますが、立浪和義さんと言えばPL学園で春夏連覇を達成した選手の一人であり、清原和博さんや桑田真澄さんの2学年下の世代である事も有名である。
立浪和義さんの高校時代の動画や画像についてや、先輩後輩にはどんな選手がいるのかなど、立浪和義さんの高校時代にスポットを当てて記事を更新したいと思います。
スポンサードリンク
立浪和義のプロフィール
【ドラゴンズ】
立浪和義さんが中日の次期監督への就任を要請されました🎉#立浪和義#中日ドラゴンズ#プロ野球#Dragons pic.twitter.com/oDPpaXnujs
— 中日新聞写真部 (@chunichiphoto) October 12, 2021
名前:立浪和義 (たつなみ かずよし)
生年月日:1969年8月19日生まれ
出身地:大阪府摂津市
身長:173㎝
体重:70㎏
投打:右投げ左打ち
出身中学校:摂津市立第五中学校
出身高校:PL学園高等学校
立浪和義の高校はPL学園では無く違う学校に決まっていた!
立浪和義さんは高校入学に関して色々あったようですね。
元々立浪和義さんは大商大堺高等学校に進学することが決まっていたのだが、高校受験の土壇場で進路変更しPL学園に入学したという話があるのである。
PL学園から声をかけてもらった立浪和義さんは大商大堺高校に進学が決まっていたが、少年野球の監督に母親と二人で頭を下げに行ったと話している。
やはり清原和博さん、桑田真澄さんの影響もあり、PL学園で野球をしたいという思いが強くあったようです。
当時のPL学園高校野球部は選ばれた選手しか行くことができなかった高校であり、そんな高校から声がかかった訳ですから、もう行くしかありませんよね。
ですから、中学校時代の立浪和義さんも注目されていたのは間違いないですね。
ナニワボーイズの出身であり、中学校から硬式野球でプレーしてきた。
小学6年生までは投手として活躍していたが、右肘を痛めてからは内野手へ転向した。
もし、大商大堺高校へ進学していたら、プロ野球選手の立浪和義さんを見ることができなかったかも知れませんね。
立浪和義の高校時代について
1987年PL学園優勝メンバー
片岡篤史(日本ハム→阪神)
立浪和義(中日)
野村弘樹(横浜大洋)
橋本清(巨人→ダイエー)
宮本慎也(ヤクルト)
※宮本は2年生 pic.twitter.com/IKRMzqafFx— 鷹のサボテン (@hawkstojinmachi) April 14, 2020
立浪和義さんは高校時代はPL学園高校野球部で春夏連覇を達成しており、高校3年生は主将としてチームを引っ張った。
高校時代の立浪和義さんについて色々書いていきたいと思います。
立浪和義さんは1年生の夏の甲子園大会ではスタンドから応援しており、あれだけの名選手でもPL学園では1年生の時はレギュラーにはなっていない。
当時の立浪和義さんの2学年上には清原和博さんや桑田真澄さんというKKコンビがいた時代である。
当時1年生だった立浪和義さんはPL学園の寮生活では桑田真澄さんと同部屋だったようで、色々良い意味で刺激を受けたようです。
KKコンビに憧れてPL学園に入学した立浪和義さんですから、桑田真澄さんと同部屋の時にはもの凄く緊張したそうです。
怖い先輩が多いPL学園野球部だったそうですが、桑田真澄さんは優しい先輩だったと立浪和義さんは話している。
同じ部屋で生活する上で、桑田真澄さんは几帳面で綺麗好きだったようで、かなり気を使ったようです。
桑田真澄さんが3年生で立浪和義さんが1年生という上下関係も凄いPL学園ですが、立浪和義さんと同級生のメンバーも凄い選手が揃っていました。
PL学園野球部の寮生活もかなり厳しい寮生活だったと言われており、特に1年生はかなり辛い寮生活だったようです。
厳しいPL学園の上下関係で揉まれたからこそ、甲子園で春夏連覇することができたのかも知れません。
こうやって社会人に出ても、あの寮での生活を乗り越えたからこそ、簡単なことでは負けないメンタルも付いた事だろう。
立浪和義とPL学園高校時代に甲子園に出場したメンバー
立浪和義さんのPL学園時代は3年生の時に春夏連覇を達成している。
中々甲子園に出場するのも難しい事なのに、春夏連続で甲子園優勝するのは本当にすごい事だと思います。
そんな立浪和義さんのPL学園時代の同級生も凄いメンバーが揃っている。
同級生では『片岡篤史』『野村弘樹』『橋本清』が後にプロ野球選手となった。
1学年下には『宮本慎也』もプロ野球選手になっている。
上記のメンバー以外にも実力者はいたと思うので、本当に凄いメンバーがPL学園には在籍していたのだ。
春夏連覇するだけのメンバーが揃っていたという事ですね。
PL学園の控え選手であれば、他の高校へ行ってもレギュラーとして活躍できる選手ばかりだったと思います。
PL学園の黄金時代と言われたのも納得ですね。
立浪和義のまとめ
本日は元中日ドラゴンズで活躍した立浪和義さんについて記事を更新しました。
高校時代はPL学園で活躍し3年生の時には主将として春夏連覇を達成するなど、数々の伝説を生んできた選手である。
現在のPL学園高校野球部は休部という形であるが、どこかで再び野球部の活動が再開されるのを高校野球ファンは待ち望んでいるだろう。
あの伝説のユニフォームを甲子園で再び見る日が待ちどうしい。
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。
下記にも関連記事がありますので、是非お読みください!
スポンサードリンク