末光章朗監督(石見智翠館)の経歴や高校時代は?PL学園で甲子園出場は?

高校野球

島根県にある石見智翠館高校野球部ですが、学校名が変更され現在の校名となっているが、旧名は『江の川高校』である。

現在の校名よりも江の川高校の方が古い人間だと分かりやすい。

そんな石見智翠館高校野球部を率いるのが末光章朗監督であるが、どんな監督なんだろうか?

末光章朗監督の経歴や高校時代についても気になるところですが、高校時代はPL学園でプレーしていたが、甲子園出場経験はあるのだろうか?

今回は石見智翠館高校野球部の末光章朗監督について調べてみました。

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末光章朗監督のプロフィール

 

名前:末光章朗 (すえみつ あきろう)

生年月日:1970年

出身地:大阪府

出身高校:PL学園高等学校

出身大学:大阪学院大学

職業:商業科教諭

 

末光章朗監督の経歴

 

それでは末光章朗監督の経歴について書いていきたいと思います。

末光章朗監督は高校時代PL学園でプレーし、高校卒業後は大阪学院大学へ進学した。

その後は社会人の松下電器でプレーしている。

ポジションは二塁手であった。

 

1998年から江の川(現:石見智翠館)の監督を務めている。

2021年の夏の甲子園で通算夏は6度の甲子園に導いているが、春の選抜には出場経験が無い。

2003年の夏にはベスト4まで進出している。

 

末光章朗監督の高校時代に甲子園出場は?

 

プロフィール欄にも書きましたが、末光章朗監督はPL学園の出身である。

PL学園と言えば、春夏通算甲子園優勝が7回の名門校であり、末光章朗監督の高校時代はメンバーとして甲子園出場経験は無いようです。

 

しかし、末光章朗監督の1学年上には立浪和義さんや片岡篤史さんが在籍し、史上4校目の春夏連覇を達成した代である。

凄い先輩達の1学年下であり、同級生にはヤクルトスワローズで活躍した宮本慎也さんがいる。

 

PL学園OBである末光章朗監督ですが、石見智翠館高校野球部のユニフォームも何となくPL学園のユニフォームに雰囲気が似ていると思うのですが、やはり少し意識して作られているのだろうか?

 

 

 

上記は石見智翠館高校野球部のユニフォームとPL学園のユニフォームである。

やはり少し似ている感じがしますね。

 

調べてみると、やはり末光章朗監督はPL学園のユニフォームを真似しているそうです。

あの伝説のユニフォームが甲子園に戻ってくるひはあるのだろうか?

 

末光章朗監督の指導方法とは?

 

石見智翠館高校野球部を計6回甲子園に導いている、末光章朗監督の指導方法とは、どのような指導方法なんだろうか?

気になるところですね!

 

調べてみると、末光章朗監督が高校時代に教えられた、『球道即人道』。

『野球を通して、人生につながるものを選手に伝える。』

石見智翠館高校野球部の選手達には教えているそうです。

 

あの高校野球の名門校であるPL学園の魂が石見智翠館高校野球部に宿っている。

石見智翠館高校野球部は選手全員が寮生活をしており、寮生活では色々な制約があるようで、携帯電話の使用は禁止であり、親などへの連絡手段は公衆電話を使用する。

 

今時携帯電話禁止の学校も珍しいとは思うが、名門大阪桐蔭高校野球部も携帯電話は禁止である。

これは外部からの情報を遮断し、野球に打ち込める環境を作る為にこのようなルールがあるようです。

 

甲子園を目指して石見智翠館高校野球部に入部してきた選手達ですので、長いようで短い期間、約2年半の間、携帯電話が使えないのは苦にならないかも知れませんね。

 

末光章朗監督のまとめ

 

本日は石見智翠館高校野球部の末光章朗監督について色々書きましたが、高校時代にPL学園で学んだ事を選手達に伝えている。

 

PL学園野球部が休部となったことは非常に残念ですが、このようにPL魂がまだ現在の高校球児に宿っていることは、高校野球ファンにとっては嬉しいことである。

 

石見智翠館高校野球部が甲子園で上位進出する時代も近いかも知れませんね。

そして甲子園での末光章朗監督の采配にも注目していきたいと思います。

 

本日は最後までお読みいただきありがとうございました。

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