三重県の津田学園高校野球部監督である佐川竜朗監督はPL学園の出身であり、甲子園にも出場経験がある監督である。
気になるのが佐川竜朗監督がPL学園時代に甲子園に出場した時の画像や動画ですが、一度調べて見たいと思います。
本日は『津田学園野球部監督の佐川竜朗監督の経歴は? PL学園時代の画像や動画も調査!』と題してブログを書いていきたいと思います。
佐川竜朗監督のプロフィール
津田学園・佐川竜朗監督
初めて見た都市対抗で日通の主軸を打ってました(その試合で投げていたのが川井進と金剛)。
PL、明治と出て、社会人にはこんないい打者がいるんだと思い、見方が変わりました。以来ファンです。ノック中、ボタンの外れを指摘され苦笑い。いいコミュニケーション取れてますね! pic.twitter.com/XJFh7Lsdfi
— りぽさん (@tan_k_y) 2018年10月21日
名前:佐川竜朗 (さがわ たつお)
生年月日:1978年
出身地:大阪市出身
出身高校:PL学園高等学校
出身大学:明治大学
社会人:日本通運
佐川竜朗監督のPL学園時代について
津田学園高校野球部監督である佐川竜朗監督は、野球の名門校であったPL学園高等学校野球部の出身で自身も甲子園出場経験がある。
どんな選手だったのか非常に気になりますね!
調べて見たところ下記の詳細が分かりました。
1996年の夏の甲子園に外野手として出場している。
1回戦の旭川工業戦では6番ライトとして出場
2回戦の県立岐阜商業戦では5番ライトとして出場
3回戦の高陽東戦では5番ライトとして出場
惜しくも3回戦の高陽東戦で6-7で敗れている。
昔、動画を見ましたが、左バッターで勝負強いバッティングをしますね!
背番号3番を付けていましたが、今大会はライトのポジションを守っていたみたいです。
タイムリー3ベースで1点差まで詰め寄ったシーンがあり、9回2アウトから、タイムリー3ベースヒットを放った。
流石ですね!
PL学園で心身共に鍛え抜かれた感じがします。
津田学園野球部にもPL魂が入っているんでしょうか?
今はPL学園野球部は廃部となってしまいましたが、指導者としてPL魂を継承している事でしょう。
逆転のPLと言われたPL学園高校野球部ですが、逆転の津田学園となり甲子園で旋風を起こせるのか?非常に今後は楽しみなチームとなりそうです。
佐川竜朗監督の2つ下の後輩に上重聡が
PL学園高校野球部で佐川竜朗監督が3年生の時にアナウンサーである上重聡さんが1年生だった。
先程もご紹介した動画の甲子園大会にも1年生からベンチ入りしている。
背番号は11番である。
1年生からPL学園のメンバーに選ばれるという事は、やはり非常に期待されていた選手なんでしょうね。
今でも佐川竜朗監督と親交があるのかは、分かっておりません。
佐川竜朗監督の監督になった動機とは
PL学園時代には甲子園に出場してその後は明治大学へ進学し社会人の日本通運に進んだ佐川竜朗監督であったが、社会人3年目にはドラフト会議で指名されると思い、待ち望んでいたがどの球団にもしめいされなかった。
社会人4年目には怪我に泣き思うように野球ができなかった。
プロ野球の選手になれないのなら高校野球の監督という選択もあると考え、社会人5年目は昼間に仕事をし昼は野球の練習、夜は大学で教員になる為の勉強をした。
非常にハードなスケジュールであるが、目標に向かう為に必死で頑張ったそうです。
そして教員免許を取得すると津田学園高校の教員になり、野球部のコーチに就任する。
学校では社会科教諭として授業を教えている。
その後2008年に津田学園高校野球部監督に就任している。
しかし、高校野球の監督になる為に非常にハードなスケジュールで毎日頑張っていた佐川竜朗監督ですが、こういった人間を見ると私自身も、もっと頑張らないといけないな。
こんな気持ちになりましたし、やはり努力しなければ成長しないと思いました。
佐川竜朗監督が率いる津田学園高校野球部が甲子園でどんな試合をするのか、今から楽しみで仕方ありません。
甲子園で優勝する日も近いかも知れませんね。
佐川竜朗監督のまとめ
本日は三重県の津田学園高等学校野球部監督である、佐川竜朗監督について記事を更新しました。
近年の三重県の高校野球では上位に名前を連ねる事が多くなってきた津田学園高校野球部ですが、佐川竜朗監督の指導方法が良いからでしょうね。
やはり、高校野球は指導者で変わると思いますし、選手をどうやってやる気にさせるか。
この辺りをしっかりと考えて指導していくと、監督と選手も成長していくんだと思います。
今後の佐川竜朗監督には注目ですね!
本日は『津田学園野球部監督の佐川竜朗監督の経歴は? PL学園時代の画像や動画も調査!』と題してブログを更新しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。