山梨県にある東海大甲府高校野球部の監督である、村中秀人監督の経歴について迫って見たいと思いますが、どんな経歴なのか気になるところですね!
2021年選抜高校野球大会にも出場が決定した東海大甲府高校野球ですが、どのような練習環境なのかも気になるところ。
村中秀人監督の指導方法についても調べてみたいと思います。
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村中秀人監督のプロフィール
㊗️センバツに前進
がんばれ東海大甲府
表情が丸くなった村中秀人監督✨ pic.twitter.com/bq57WbGAke— ゆうくん@県営の妖精 (@fukada_yu2) October 27, 2020
名前:村中秀人 (むらなか ひでと)
生年月日:1958年9月25日生まれ
出身地:長崎県佐世保市
出身高校:東海大相模高等学校
出身大学:東海大学
社会人:プリンスホテル
職業:国語科教諭
村中秀人監督の高校時代について
それでは村中秀人監督の高校時代について調べてみたいと思います。
村中秀人監督は神奈川の東海大相模高校野球部の出身であり、甲子園には4度出場の経歴がある。
1度も甲子園に出場したことがない高校球児も多い中、甲子園に4度も出場できるということは、非常に素晴らしいことだと思います。
1回でも甲子園に出れれば十分なのに、4度も甲子園に出場すると言うことは1年生以外の学年で全て甲子園出場と言うことだろうか?
あのPL学園で活躍した桑田真澄投手や清原和博選手が5回の甲子園出場ですから、すごい選手だった言うことが分かりますね。
村中秀人監督の甲子園出場の詳細が判明し、夏3度と春1度の甲子園出場だそうです。
ポジションは投手で左腕として東海大相模のエースとして活躍し、同級生には巨人の原辰徳監督がいる。
原辰徳監督と共に甲子園出場をしている。
高校時代の村中秀人監督の甲子園でのピッチング動画がありましたので、掲載しておきます。ただ、かなり昔の映像で見辛いですがどうぞ!
勿論、原辰徳監督も出場しております。
村中秀人監督の大学時代について
東海大相模高校を卒業後は東海大学へ進学しております。
東海大学時代の村中秀人監督ですが、首都大学リーグでは在学中に7回の優勝をしている。
大学時代には他にも好投手がいたこともあり、登板機会が少なかったが、外野手としても活躍していたそうです。
東海大相模高校時代からの同級生だった原辰徳監督は大学も同じである。
村中秀人監督の社会人時代について
東海大学を卒業した村中秀人監督ですが、社会人のプリンスホテルに進む。
1984年と1985年の都市対抗野球に出場し本塁打を放ち、中軸打者としても活躍し、プリンスホテルの主将も勤めた。
プリンスホテル時代の村中秀人監督の動画や画像を探してみましたが、見つけることは出来ませんでした。
今後何か情報が入り次第このブログに追記していきたいと思います。
村中秀人監督の指導者としての経歴は?
それでは村中秀人監督の指導者としての経歴について見ていたいと思いますが、大学野球から社会人野球を経て、指導者の道へ進んだ村中秀人監督ですが、2021年までに2校で高校野球の指導者として活躍している。
東海大相模高校野球部の監督時代
1988年に母校である東海大相模高校野球部の監督に就任し、1992年の春には甲子園準優勝を果たしている。
決勝戦では三澤興一投手を要する帝京高校と激闘の末2−3で敗れた。
東海大相模高校野球部での甲子園出場は春の2回。
夏の甲子園大会の出場経験は0で、横浜高校や桐蔭学園といった強豪相手に中々勝つことが出来なかったようです。
東海大甲府高校野球部の監督時代
東海大甲府高校野球部の監督には1999年から指揮を取っている。
2003年の夏に自身初となる夏の甲子園出場を果たした。
翌年の2004年の夏にも2年連続で甲子園出場を果たし、ベスト4の成績を残した。
東海大甲府の監督に就任し春1回、夏5回の甲子園出場経験がある。
2021年の春の選抜高校野球大会にも出場が決まり、どのような采配を振るうのか、楽しみであります。
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村中秀人監督のまとめ
本日は東海大相模と東海大甲府で野球部監督として活躍している村中秀人監督について記事を更新しました。
監督としての甲子園通算成績は甲子園8度出場で、15勝8敗の成績である。
2021年の選抜高校野球大会には山梨県1位、関東大会ベスト4という成績で選出されており、甲子園ではどのような戦いになるのか、非常に楽しみである。
甲子園ではどのような采配を振るうのか、注目していきたいと思います。
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。
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