東海大学陸上競技部と言えば、出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝で活躍する強豪校であるのですが、そんな東海大学を引っ張る両角速監督についてブログを更新したいと思います。両角速監督の経歴や身長体重も気になる所ですが、ネットを検索すると『名言』『本』『無能』このようなキーワードが出てくる。このキーワードについても調べて見たいと思います。
スポンサードリンク
両角速監督のプロフィール
#箱根駅伝 初めての総合優勝を決め、胴上げされる #東海大 #両角速 監督(3日午後、東京・大手町で=守谷遼平撮影 pic.twitter.com/bjmrV4daoh
— 読売新聞写真部 (@tshashin) January 3, 2019
名前:両角速 (もろずみ はやし)
生年月日:1966年7月5日生まれ
出身地:長野県茅野市
出身高校:東海大学第三高等学校(現:東海大学付属諏訪高等学校)
出身大学:東海大学体育学部
東海大学時代には箱根駅伝を4年連続で経験。(第62回大会~第65回大会)
その後、日産自動車に入社し陸上部に入るが、廃部となってしまう。
ダイエー陸上部に移籍するも、休部となってしまい実業団選手を引退する。
1995年に、佐久長聖高等学校の教諭となり駅伝部監督に就任し、無名であった佐久長聖高等学校を長距離陸上競技の名門校に育て上げた。
全国高校駅伝では1998年から2010年まで13回連続出場し12回の入賞を果たしている。
2008年の第59回大会では2時間02分18秒の日本高校最高記録で初優勝している。
2011年4月には東海大学体育学部競技スポーツ学科特任准教授・東海大学陸上競技部駅伝監督に就任した。
監督就任後、2017年10月9日には出雲駅伝で10年ぶり4度目の優勝を果たす。
2019年1月3日には第95回箱根駅伝で初の総合優勝を果たしている。
スポンサードリンク
両角速監督の名言とは?
佐久長聖高等学校や東海大学を輝かしい成績に導いた両角速監督の名言とは一体どんな名言なのか、調べて見たいと思います。
特に名言集と言う言葉は無かったのですが、2019年の箱根駅伝で初の総合優勝を達成した時に言った言葉が『チャレンジして、やればできることを選手から教わった』
このように語っている。
名言と言うよりも、普通の言葉に聞こえるが、深く良く考えて見るとチャレンジすらしない人が沢山居るのは事実で、何もしないでできないと嘆いている。
何語ともチャレンジし続ける事で、一歩ずつ成功に近づいて行くんだと思うし、チャレンジすらしない人間には成功することやチャンスなんてやってこないと思うんですよね。
世界のイチロー選手も話していましたが、毎日コツコツ努力した結果があのメジャーリグで活躍するイチローになったと話しています。
チャレンジしてやると言う事は、簡単そうで中々一歩が踏み出せない人が大勢いる。
小さな事でも一歩踏み出す事は、大きな成功に近づくんだと思います。
スポンサードリンク
両角速監督が無能と言われた理由とは
両角速監督が無能と言われてしまった理由とは?
一体何故なんだろう?
調べて見たいと思います。
2011年4月に両角速監督が東海大学に就任しましたが、就任直後の箱根駅伝でシード権を逃し、翌年の箱根駅伝の予選会では結果が振るわず、本大会出場する事ができなかった。
どうやら両角速監督が監督に就任した直後の時期にこのような事が重なってしまった為に、『無能』と言われてしまったようです。
監督が変わって1年目ですから、選手も環境が変わり色々対応するのが難しかったのかも知れませんし、監督と選手の間に溝では無いですが、信頼関係を構築する時間がかかったのかも知れませんね。
でも、何事もそうですが、いきなり結果を出すのは難しいですし、簡単にシード権を取れるスポーツでも無いですから、中々簡単にはいきませんね。
スポンサードリンク
両角速監督の本について
両角速監督は下記の3冊を出版している。
佐久長聖高等学校を高校駅伝日本一にした名将であり、東海大学では箱根駅伝で2019年に総合優勝を果たした監督ですから、実績は十分ある監督です。
個人的には、『前に進む力』が非常に気になります。
|
|
|
両角速監督のまとめ
本日は東海大学の両角速監督について記事を更新しました。
名言や無能について調べて見ましたが、やはり色々言われてしまうのは仕方のない事ですし、少しの事で気にしていたら、何もスタートする事は出来ないと思います。
2019年の箱根駅伝での総合優勝から、2020年の箱根駅伝はどんな采配をするのか?
非常に楽しみですね!
今後も両角速監督率いる東海大学には注目していきたいと思います。
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。
下記にも関連記事がありますので、是非お読み下さい!
スポンサードリンク