丸佳浩の高校時代は投手で甲子園のマウンドに!打者としても高校通算49本!

プロ野球

 

丸佳浩選手の高校時代についてですが、高校時代は投手としても活躍していたんですよ!意外と知らない人も多いのではないでしょうか?丸佳浩選手は高校時代に甲子園のマウンドでも投げていますし、打者としても高校通算49本の本塁打を放ったスラッガーとしても注目されました。丸佳浩選手の高校時代について詳しく書いていこうと思います。





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丸佳浩のプロフィール

 

 

名前:丸佳浩

生年月日:1989年4月11日生まれ

出身地:千葉県勝浦市

身長:177cm

体重:90㎏

投打:右投げ左打ち

ポジション:外野手

出身中学校:勝浦市立勝浦中学校

出身高校:千葉経済大学付属高等学校

 

丸佳浩選手は小学校3年生からソフトボールを始めた。

中学校時代はボーイズリーグやシニアリーグには所属せずに中学校の軟式野球部に所属し、ポジションは投手と遊撃手を務めた。

中学卒業後は千葉経済大学付属高等学校へ進学し2006年の夏の甲子園では2年生で3番バッターで右翼手として出場。

しかし、1回戦で沖縄県立八重山商工高等学校と対戦し延長戦にもつれ敗退した。

高校3年生の春の選抜大会にも出場。

2回戦まで進出したが熊本工業高校に延長の末敗戦した。

 

2007年のドラフト会議で広島東洋カープから3巡目指名されプロ入りを果たした。

 

丸佳浩の高校時代は投手として活躍していた!

 

それでは丸佳浩選手の高校時代について書いていこうと思います。

丸佳浩選手が甲子園のマウンドで投げている動画等を見てみたいと思います。

 

 

丸佳浩選手は千葉経済大学付属高等学校時代にエースとして甲子園のマウンドを踏んでおります。

甲子園のマウンドでは最速144キロを計測している。

 

現在の高校野球の投手は150キロ以上投げる投手も多くなってきたが、当時144キロを投げた丸佳浩選手は球速ランキングでもトップクラスだったと思います。

 

因みに丸佳浩選手と同世代は、大阪桐蔭の中田翔選手や仙台育英の佐藤由規投手が甲子園で活躍した世代である。

懐かしいと思う高校野球ファンも多いのではないでしょうか?

 

千葉経済大学付属高等学校でエースで主軸として活躍し選手や監督からも信頼が厚かったと思います。打者としても素晴らしい選手で、高校通算49本塁打を放っている。

2年生の夏にも主軸として甲子園に出場しており、打撃センスは高校球児でもずば抜けていたんではないでしょうか。

 

丸佳浩選手は2年の夏の甲子園と3年の選抜に出場しており、計2度の甲子園を経験している。

 

 

投打に活躍した丸佳浩選手は同年のドラフト会議で広島東洋カープから3巡目で野手として指名された。

当時の契約金が4000万円で年俸は推定500万円だそうです。

 

 

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丸佳浩の高校時代の恩師から見た印象は?

 

丸佳浩の高校時代の監督は中学生だった丸佳浩選手についてこのように語っている。

 

肩の強さ、足の速さ以上に体幹の強さに目を奪われ「一緒に甲子園に行こう!」と誘った。入部当初の丸は遊撃手。まだまだ発展途上で「ゴロもフライも捕れなかったんだ。打撃もスイングは速かったけど、空振りが多くて当たらなかったね」

 

このように高校時代の監督は丸佳浩選手について語ってるが、高校生活で毎日努力し続けてレギュラーになり、甲子園出場まで達成した。

 

そして、監督の家にも泊りに行ったこどがあるそうです。

「うちに泊まりに来たんだよ。息子と仲が良かったのもあるけど、普通は嫌だと思う。丸だけだ。芯が強くて、ふてぶてしくてね」。

 

千葉経済大学付属高等学校野球部監督である松本吉啓監督の息子さんも同野球部だったらしく、自宅に泊りに来た丸佳浩選手についても話していました。

 

中々監督の息子と仲が良くても、泊りに行きづらいと思います。普通でしたら。

しかし、丸佳浩選手はそれも動じない精神を持っているのでしょう。

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丸佳浩の高校時代のまとめ

 

本日は丸佳浩選手の高校時代について記事を更新しました。

丸佳浩選手は千葉経済大学付属高等学校野球部ではエースで主軸としてチームを引っ張り甲子園にも出場していました。

 

今では読売ジャイアンツで主軸を打つ選手に成長し、今後も楽しみな選手です。

プロに入り打者に転向しましたが、球界を代表する打者ですので、今後の丸佳浩選手には目が離せません!

 

本日は最後までお読みいただきありがとうございました。

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