工藤公康の若い頃の投球や高校時代の動画!豪遊し過ぎて体調不良に?

プロ野球

福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督についてブログを更新したいと思います。工藤公康監督の若い頃は投手として活躍していた、ご存じの方も多いとは思いますが、知らない人の為にもどんな現役投手だったのか是非知ってもらいたいと思います。高校時代はイチローの先輩ですが、高校時代の動画などもご紹介していきたいと思います。

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工藤公康のプロフィール

 

 

名前:工藤公康

生年月日:1963年5月5日生まれ

出身地:愛知県豊明市

身長:176cm

体重:80㎏

出身高校:名古屋電気高等学校(現:愛知工業大学名電高等学校)

投打:左投げ左打ち

ポジション:投手

プロ入り:1981年 (ドラフト6位)

 

工藤公康監督の選手時代は投手として西武、ダイエー、巨人の3球団で日本シリーズ優勝の経験がある。

そして日本シリーズの通算最多奪三振記録保持者である。(102個の記録)

私は現役時代の工藤公康投手をテレビで見ていましたが、とても安定感のある投手で大崩れしない投手というイメージがありますね。

左投手の5本の指に入る投手だと思っております。

 

工藤公康監督の出身高校は名古屋電気高等学校この学校は現在の愛知工業大学名電高等学校の事であります。

天才バッターであるイチローの母校でもあります。

 

1981年の第63回全国高等学校野球選手権大会に出場し2回戦の長崎西高等学校戦では史上18人目のノーヒットノーランを達成している。

金属バットに変更になり初のノーヒットノーランとなる記録である。

この大会ではチームをベスト4へ導いた。

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工藤公康の高校時代の画像や動画

 

工藤公康監督の高校時代ですが、プロフィール欄にも書きましたが、愛知県の名古屋電気高等学校(現:愛知工業大学名電高等学校)の出身である。

夏の大会ではノーヒットノーランを達成しチームをベスト4に導く活躍を見せた。

 

 

工藤公康監督が最後の1球を投げる時に8回もキャッチャーのサインに首を振っていますが、実際には8個もサインは無いと思いますね。

これは、バッターの心理を上手く付いた作戦だと思います。

バッターの的を絞らせない為の作戦ですね。

 

実際に私も野球をしていましたので、この作戦は使った事があります。

意外に有効だと思うので、野球をやっている方がお見えでしたら、是非使って見て下さい!

それにしても、愛工大名電のユニフォームは昔と変わらないんですね。

伝統を感じますね。

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工藤公康の夜遊びが半端ない?

 

1989年の工藤公康監督が26歳の時だった。

まだ若かった工藤公康監督は毎晩の様に飲み歩いたらしく、ブランデーを2本、3本と空けて一睡もせずに試合に出場した時もあったそうです。

そして、この年の成績は4勝8敗と大きく負け越してしまう。

 

「肝臓が腫れて肋骨の間からはみ出しそうになっていました。医師には、このままでは死ぬといわれるほど肝数値も最悪でした」

 

このように医師からも厳しい告知をされた工藤公康監督ですが、昔のプロ野球選手ってこのように毎晩飲み歩いているイメージが私の中にはあります。

清原和博選手もそうですが、めちゃめちゃ飲む量も半端ない感じがしますね。

 

やはり飲みすぎ食べ過ぎは、体に良い事は無いと思いますし、ましてやプロの野球選手ですから体調管理は一般人よりもしっかりと体調管理は必要だと思います。

そんな中、1990年に結婚し奥さんである雅子さんが沢山の本を読み漁り、工藤公康監督の体調管理を正したそうです。

その後の工藤公康監督は16勝3敗と前年と見違えるように蘇る成績を叩き出した。

奥さんの力は非常に大きかったですね!

もし奥様と出会っていなければ、今の工藤公康監督は無かったと思うくらい、奥様の力は偉大だったと思います。

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工藤公康のまとめ

 

本日は福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督の若い頃についてブログを更新しました。

やはり、人は若い時に武勇伝みたいな事は誰でもあると思います。

過去に失敗した人物はやはり強いと思うし、失敗は成功の元と良く言われるのは本当なんだなって思いましたね。

私も色々挑戦し何度も失敗し成功を掴み取りたいと思います。

今後の工藤公康監督の活躍に注目ですね!

本日は最後までお読みいただきありがとうございました。

下にも野球関連の記事がありますので、是非お読み下さい!

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