侍ジャパンの監督を務める稲葉篤紀監督の黒いあざについて記事を更新したいと思います。稲葉篤紀監督の黒いあざはいつ頃からあるのか?気になりますね。稲葉篤紀監督が現役時代のヤクルトの時にもあざがあったと思います。それではいつ頃からあざになって顔に出てきたのだろうか?稲葉篤紀監督の中学高校時代の画像や動画で検証してみたいと思います。イチロー選手との出会いもご紹介します!
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稲葉篤紀のプロフィール
本日から始まる合宿を前に宮崎に集合した #侍ジャパン
昨夜の放送で一部しかお伝えできなかった、監督・選手たちのスーツ姿です!#稲葉篤紀 監督 #山田哲人 選手 #山本由伸 投手 #菊池涼介 選手 pic.twitter.com/2GYuiRAPsT— SPORTSウォッチャー (@TVTOKYO_sports) October 21, 2019
名前:稲葉篤紀 (いなば あつのり)
生年月日:1972年8月3日生まれ
出身地:愛知県北名古屋市
身長:185cm
体重:94cm
出身中学校:愛知県北名古屋市立訓原中学校
出身高校:中京高等学校(現:中京大中京)
出身大学:法政大学
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稲葉篤紀の右頬にあるあざはいつからある?
稲葉篤紀監督の顔(右頬)にある黒いあざですが、いつからあるんでしょうか?
このあざですが、『太田母斑』(おおたぼはん)といいまして、産まれた時からある場合と、小児期や思春期の時にできて徐々に拡大する場合があるそうです。
稲葉篤紀監督の中京高校時代(現:中京大中京)ですが、よく見るとあざはありました。
おそらく幼少期からあるのでしょうね。
後程、稲葉篤紀監督の高校時代についてはお伝えしますが、屈指の名門校で4番を打っていました。
動画のホームランも打った瞬間入るホームランでした!
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稲葉篤紀はイチローと同じバッティングセンターへ通った
稲葉篤紀監督は愛知県北名古屋市の出身で、イチローさんは愛知県西春日井郡豊山町の出身であり、隣町同士である。
学年は稲葉篤紀監督の方が1学年上にあたります。
少年時代には同じバッティングセンターに通っていた二人ですが、どんなバッティングセンターなのか、知りたい人もいるかも知れませんので、ご紹介したいと思います。
空港バッティングという名称で愛知県西春日井郡豊山町にある。
県営名古屋空港の近くにあるので、空港バッティングという名前である。
バッティング内に入ると、イチローさんと稲葉篤紀監督の写真が飾られている。
私も一度だけですが空港バッティングで打撃練習をしたことがあります。
当時の私設はそこまで、新しいとは思えないバッティングセンターでしたが、何となく古臭い感じの雰囲気だったのを覚えております。
いまでも、会社の帰りに近くを通りますが(笑)
そんな二人が通ったバッティングセンターですが、二人は少年時代にその場所で出会っているそうです。
イチローさんが小学校の時で、稲葉篤紀監督が中学生の時に会っているみたいですね。
当時の様子を二人が語っている動画がありましたので掲載しておきます。
イチローさんは現役時代、公式のインタビューしか受けない選手だったそうですが、やはり稲葉篤紀監督は特別なんですね。
特例中の特例ですよね!
因みに稲葉篤紀監督は中京高校、イチローさんは愛工大名電高校で愛知県の私学四強と言われる名門校の出身であり、高校時代はライバル関係だったんですよー。
稲葉篤紀監督が高校3年生の夏には愛知大会の決勝まで進みましたが、惜しくもイチロー選手がいた愛工大名電に4-5で敗れてしまい、甲子園出場は叶いませんでした。
今でも中京高校と愛工大名電はライバル校として、対戦すれば好カードとして注目される試合であります。
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稲葉篤紀のまとめ
本日は稲葉篤紀監督について記事を更新しました。
稲葉篤紀監督の黒いあざは、恐らく幼少期からあったのでしょう。
東京オリンピックに向けて侍ジャパンの監督に就任している稲葉篤紀監督ですが、オリンピックでは金メダルしか狙わないとのことですから、かなり期待しても良いのではないでしょうか?
2020年の東京オリンピックの采配に期待したいですね!
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。
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