平川敦監督(北海)の経歴や息子について!指導方法についても調査!

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高校野球

北海高校野球部の平川敦監督の経歴や息子について書いていきたいと思います。

平川敦監督の高校時代は甲子園出場経験はあるのだろうか?

それから平川敦監督の息子さんが、札幌国際情報高校で高校球児として活躍していたようですが、どのような選手だったのだろうか?

本日は『平川敦監督(北海)の経歴や息子について!指導方法についても調査!』と題してブログを書いていきたいと思います。

 

平川敦監督のプロフィール

 

 

名前:平川敦 (ひらかわ おさむ)

生年月日:1971年4月6日生まれ

出身地:北海道根室市

出身高校:北海高等学校

出身大学:北海学園大学

 

平川敦監督の高校時代について

 

それでは平川敦監督の高校時代について見てみたいと思います。

平川敦監督の母校は北海高校であり、高校時代は1989年の夏の甲子園に投手として出場経験があります。

 

1回戦では桜ケ丘(山口)と対戦し2ー6で初戦敗退しております。

投手として出場した平川敦監督ですが、調べてみると1回戦の試合には出場しておりませんでした。

 

甲子園のベンチ入りはしていたが、登板する機会が無かったようですね。

先発水上投手→島崎投手という継投でした。

このような感じから平川敦監督は控え投手だったみたいですね。

 

当時の高校野球の雑誌にも掲載されておりました。

背番号は13番を付けていたようです。

 

平川敦監督の大学時代について

 

北海高校を卒業後は北海学園大学へ進学した平川敦監督ですが、大学では野球部には所属していなかったようです。

野球部には所属していませんが、北海高校のコーチを勤めていたようですね。

 

甲子園に出場する監督の経歴だと少々珍しい監督では無いでしょうか?

甲子園出場高校監督の経歴を見ると殆どの監督が大学野球の経験者であり、その後に高校野球の指導者になっているパターンが非常に多いですね。

 

北海学園大学を卒業後は道内の百貨店で3年間勤めていたようです。

そしてその後の1998年に北海高校野球部の監督に就任している。

 

平川敦監督の指導方法について

 

 

1998年に北海高校野球部の監督に就任した平川敦監督。

監督就任後の1999年にはいきなり夏の甲子園出場を果たした。

その後も甲子園出場を果たし春1回、夏6回の甲子園出場を果たしている。

 

2016年の夏の甲子園では決勝まで進出し、準優勝を果たしている。

決勝戦の相手は栃木・作新学院で1−7で敗れた。

平川敦監督はデーターから見ても非常に夏の大会に好成績を収めており、やはり春よりも夏に強い監督と言えるでしょう。

 

2018年と2019年には高校日本代表のコーチに選出されるなど、監督として非常に指導力のある方である。

2年連続で高校日本代表のコーチに選出されると言う事ですから、公私共に信頼のおける監督なんでしょうね。

 

高校日本代表の選手の中には、プロ野球で活躍している選手も多いので、平川敦監督も色々な選手を見る目もしっかりしているでしょうし、選手たちとのコミュニケーションもしっかりとしていると思います。

 

平川敦監督の息子も高校球児

 

 

平川敦監督の次男も高校球児とのことであり、北海高校では野球をしておらず、札幌国際情報高校で野球をしていた。

親子同じ高校でプレーする方もいますが、平川敦監督の場合は違うみたいですね。

 

どんな選手なのか気になるところですが、2021年で高校3年生だったそうです。

2020年の夏の南北海道大会の決勝に2番手投手としてマウンドに上がっており、無失点に抑えている。

決勝戦でマウンドに上がっていると言うことは、それなりの実力もあった選手のようです。

 

最後の夏は準決勝で涙を飲んで、甲子園出場は叶わなかったようです。

息子さんも4番手でマウンドに上がったようです。

現在は仙台大学で内野手としてプレーしているようです。

 

平川敦監督のまとめ

 

本日は北海高校野球部監督の平川敦監督について記事を更新しました。

平川敦監督の経歴は名将と言っても良い実績のある監督ですね!

今後も春の選抜高校野球大会や夏の選手権大会への出場もあるかと思いますが、どこまで勝ち進むのか、それからどんな采配をするのか非常に楽しみですね。

 

本日は『平川敦監督(北海)の経歴や息子について!指導方法についても調査!』と題してブログを更新しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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