大阪代表の座を勝ち取った東大阪大柏原高校は決勝で大阪桐蔭高校を破って甲子園出場を決めた。
監督としてチームを率いる、土井健大監督について色々書いていきたいと思います。
土井健大監督の経歴や高校時代についても気になるところですが、高校時代は履正社高校野球部であった。
本日は『土井健大監督(東大阪大柏原)の経歴は?履正社高校時代の成績も調査!』と題してブログを書いていきたいと思います。
土井健大監督のプロフィール
東大阪大柏原高校の土井健大監督は元オリックスの選手だったのか。#土井健大 #東大阪大柏原 #高校野球大阪大会 #bs2025 pic.twitter.com/A76cmOZXcC
— エイチャン (@eijinara1978) July 27, 2025
名前:土井健大 (どい けんた)
生年月日:1989年1月24日生まれ
出身地:兵庫県
身長:176㎝
体重:82kg
出身高校:履正社高等学校
土井健大監督は元プロ野球選手
2008/02/24
️高知市東部野球場#土井健大 選手#丹羽将弥 選手#ORIX #OrixBuffaloes #Bs2008土井健大監督、第107回全国高校野球選手権大阪大会優勝&夏の甲子園出場おめでとうございます㊗️✨ pic.twitter.com/Fxg8FDG1z6
— ⚾️ (@miho36034) July 28, 2025
土井健大監督は履正社高校時代に、2006年のドラフト会議でオリックス・バファローズから5巡目の指名を受けた。
ドラフトで指名されるなんて、数少ない人数しかいませんし、本当に狭き門と言っても良いでしょう。
ドラフト指名確実と言われた選手でも、蓋を開けてみれば指名漏れという現実も。
簡単にはプロ野球選手になれないのである。
ドラフト下位指名の選手でも、プロの世界で活躍する選手もいるから面白い。
ドラフト上位指名されても、数年で戦力外通告を受ける選手もいる。
中々プロで結果を出せない選手も多い世界である。
プロ野球で活躍できる選手はほんの一握りだから、プロに入って必死で練習した選手が上のステージに行けるのだろう。
2010年にウエスタン・リーグで90試合出場し、フレッシュオールスターゲームにも出場していたが、シーズン終了後には『戦力外通告』を受けた。
その後、読売ジャイアンツに育成選手として契約したが、翌年戦力外通告を受け、ブルペン捕手へ転向したが、現役でプレーしたい思いが強く退団する形となった。
読売ジャイアンツを引退後は社会人野球のミキハウスREDSで現役復帰したが、怪我の影響もあり、現役引退を決意した。
土井健大監督の履正社高校時代
土井健大監督の履正社高校時代には甲子園出場経験はあるのだろうか?
高校通算本塁打数なども気になるところですね!
調べてみたところ、2006年の春の第78回選抜高校野球大会に出場経験がある。
履正社高校野球部はこの年優勝した横浜高校野球部と1回戦で対戦し、惜しくも0−1で破れてしまった。
くじ運も悪かったですね・・・。
くじ運次第では上位進出もあったと思います。
甲子園では1回戦敗退でしたが、土井健大監督個人の成績ですと、高校通算43本塁打を放つ強打者として活躍した。
ポジションは捕手でしたから、打てる捕手としてプロのスカウトも注目していたんでしょうね。
高校3年生の夏は大阪府大会の4回戦で大阪桐蔭高校野球部と対戦し2−3で敗戦。
大阪桐蔭がこのまま勝ち進み甲子園の切符を掴んだ。
非常に惜しい試合ばかりであり、どちらが勝っても良い試合であった。
高校野球の勝敗も本当に紙一重ですね。
因みに大阪桐蔭高校野球部には中田翔選手が1学年下で出場し、本塁打を放っている。
そして、この大会の甲子園での決勝はハンカチ王子でブレイクした斎藤佑樹投手と駒大苫小牧高校野球部の田中将大投手の投げ合いであった。
土井健大監督のまとめ
本日は東大阪大柏原高校野球部の土井健大監督について書いてみました。
土井健大監督の経歴は元プロ野球選手であり、オリックスと読売ジャイアンツでプレー。
元プロ野球選手が高校野球の監督ん就任するケースが近年増えているが、個人的には非常に良いことだと思っている。
元プロ野球選手の指導が増えて、高校野球のレベルも上がってくるのではないだろうか。
今後の活躍にも期待したいところですね。
本日は『土井健大監督(東大阪大柏原)の経歴は?履正社高校時代の成績も調査!』と題してブログを更新しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。