高校野球の名門校である日大山形高校野球部ですが、チームを率いる荒木準也監督とはどんな監督なんだろうか?
監督の経歴や高校時代には甲子園出場経験はあるのだろうか?
気になるところですね!
そして、日大山形高校野球部を甲子園に導く指導方法も気になるところ。
日大山形高校野球部の練習方法等についても調べてみました。
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荒木準也監督のプロフィール
【第98回 全国高校野球選手権 山形大会】
日大山形 荒木準也監督
2016/07/15 pic.twitter.com/piGqOvIQPH— チョコパン (@smalto19) July 15, 2016
名前:荒木準也 (あらき じゅんや)
生年月日:1971年
出身地:山形県
出身高校:日大山形高等学校
出身大学:東北福祉大学
ポジション:外野手
職業:事務職員
荒木準也監督の経歴について
それでは荒木準也監督の経歴について調べてみたいと思います。
荒木準也監督は山形県出身であり、高校も日大山形高校野球部の出身であります。
日大山形高校を卒業後は東北福祉大学へ進学し、その後は社会人野球のプリンスホテルで選手として活躍していた。
2002年から母校である日大山形高校野球部の監督に就任し、2013年には山形県勢最高成績である夏の甲子園ベスト4まで進出している。
日大山形高校では事務職員として勤務している。
荒木準也監督の高校時代について
荒木準也監督の高校時代について、気になるので調べてみました。
高校時代は日大山形高校野球部でプレーしており、2年生の夏に甲子園出場経験がある。
甲子園では1回戦で敗退している。
高校3年時には春夏通じて甲子園出場は果たせなかったようです。
高校時代のポジションは主に外野手でプレーしていた。
荒木準也監督の大学と社会人時代
荒木準也監督は東北福祉大学と社会人野球のプリンスホテル時代に日本代表選手として活躍していたようです。
アトランタオリンピック日本代表の最終選考まで残った経歴がある。
東北福祉大学時代には大学選手権大会ではベスト4まで進んだ。
社会人野球のプリンスホテル時代には2000年に解散となり、現役を引退した。
他にも現役時代にはプロ注目選手だったようです。
もしオリンピックに出場していたら、ドラフト会議にかかってプロ野球選手になっていたかも知れませんね。
荒木準也監督の息子はプロ注目!
秋季高校野球 #山形県 大会は24日 #日大山形 が8-1の7回コールドで #鶴岡工 を下した。#荒木準也 監督(47)の長男、3番 #荒木拓己 外野手(2年)が左越えに公式戦初本塁打。5回裏2死で飛び出しました #kokoyakyu #高校野球 #センバツ #山形 pic.twitter.com/vIB2LFAV9A
— 日刊スポーツ新聞社東北取材班 (@nikkan_tohoku) September 24, 2019
荒木準也監督の長男である荒木拓己さんがプロ注目選手とのことです。
高校時代は同じ日大山形高校野球部に所属しており、2020年に高校を卒業している。
現在は東北福祉大学の野球部でプレーしており、父親である荒木準也監督と同じ道を進んでいるのである。
2021年8月現在で東北福祉大学1年せいですので、3年後のドラフト会議にも注目していきたいと思います。
日大山形高校野球部の寮やグランドについて
日大山形高校野球部の寮やグランドはどのような設備が整っているのだろうか?
私立高校であり、全国でも名の知れている強豪校ですから、かなり充実した設備を完備していると思われますが、どうでしょうか?
調べてみると日大山形高校野球部には寮が無いそうです。
野球部の出身地を見ると山形県出身者が大半である。
寮が無いので、地元出身者のチーム構成となっているが、東京からの選手は恐らく学校近くで下宿生活を送っているのだろう。
そして日大山形高校野球部のグランドについてですが、野球部専用のグランドと室内練習場が完備されており、野球部の練習は充実した環境で行うことができる。
照明施設も付いているので、夜間の練習も対応している。
やはり甲子園に出場してくる学校は、練習環境も非常に充実している。
このような環境で約2年半野球ができることは、選手にとっても充実した高校野球生活となるでしょうね。
荒木準也監督のまとめ
本日は日大山形高校野球部の荒木準也監督について記事を更新しました。
荒木準也監督は選手としても活躍し、注目される選手でありました。
日大山形高校野球部を率いて、夏の甲子園ではベスト4が最高成績である。
山形県勢初の優勝を目指して、荒木準也監督の甲子園での采配には注目していきたいと思います。
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。
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