元プロレスラーであるアントニオ猪木さんですが、ブラジルで少年時代を過ごした過去があるようですが、国籍はどこなんだろうか?
このような疑問がふと湧いてきた。
アントニオという名前の由来はどこからきたのだろうか?
やはりブラジルとの関係が何かあるのだろうか?
色々アントニオ猪木さんは謎が多い方ですが、北朝鮮との関係も気になるところですので、色々調べてみたいと思います。
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アントニオ猪木のプロフィール
若い頃のアントニオ猪木
イケメン過ぎて草 pic.twitter.com/RGLPZmZ17s— ジャック・ミガー🍵部長 (@ri_su_micha_zu) March 22, 2021
名前:アントニオ猪木
本名:猪木寛至 (いのき かんじ)
生年月日:1943年2月20日生まれ
出身地:神奈川県横浜市鶴見区
身長:190㎝
体重:102㎏
血液型:AB型
アントニオ猪木の国籍はどこ?
それでは気になるアントニオ猪木さんの国籍について調べてみたいと思います。
プロフィール欄にも書きましたが、アントニオ猪木さんの本名は猪木寛至と言います。
中々本名で名前を呼ばれる機会は少ないと思いますし、やはりアントニオ猪木という名前が浸透しているので、今更本名で呼ばれてもあまりピンと来ませんね。
国籍は日本で生まれは神奈川県の生まれです。
13歳の時にブラジルへ渡っており、その関係もあって日系ブラジル人と言われていた時もあったようですが、日系ブラジル人ではなく、日本人なのです。
アントニオ猪木さんの父親は5歳の時に亡くなっており、経済的に厳しかったようで、母親と祖母と兄弟でブラジルへ渡ったのがきっかけなんですね。
ブラジルでは農場でコーヒー豆の収穫をしていたそうです。
しかし、日本を離れてブラジルへ渡るのも、13歳の少年からしてみれば、かなり不安なことだったでしょう。
異国の地に行くのですから、一人じゃ無いとしても、私だったらチョット躊躇してしまいそうです。
アントニオ猪木の名前の由来とは?
なぜアントニオ猪木という名前を付けたのか?
名前については、当時の名レスラーである『アントニオ・ロッカ』にあやかって付けられたという説や、『ブラジル帰りの日系ブラジル人』を強調する為に付けられたという説もあるようです。
アントニオ猪木さんの師匠である、力道山はアントニオ猪木さんを当初日系ブラジル人として売り出そうとしていたそうです。
確かに、日本人離れした感じはありますからね。
日系ブラジル人と言われても、正直通用する感じはしますね。
しかし、力道山が亡くなった後に、アントニオ猪木さんが横浜生まれだということを公にしたそうです。
アントニオ猪木と北朝鮮との関係とは?
アントニオ猪木さんと言えば北朝鮮に何度も足を運んでいる。
33回も北朝鮮へ渡っているというから驚きである。
政治家としても活動しているアントニオ猪木さんは、力道山が北朝鮮の出身であった為、その思いを受け継いで北朝鮮との関係を深めてきた。
日本の政治家としては一番多く北朝鮮に渡っていると思われます。
そんなアントニオ猪木さんですが、北朝鮮では一体何をしてきたのだろうか?
1995年にアントニオ猪木さんは北朝鮮で『平和のための平壌国際体育・文化祝典』を開催し、新日本プロレスの選手を引き連れて、北朝鮮へ渡っている。
北朝鮮とスポーツを通じて交流を深めてきたアントニオ猪木さんは、何度も訪朝し日本と北朝鮮の関係を何とか修復したいという思いであったが、中々北朝鮮と日本の間には溝が埋まることは無かった。
日本政府とアントニオ猪木さんとの間にも何かわだかまりみたいなものがあったのかも知れない。アントニオ猪木さんは『なぜ俺を利用しない?』とインタビューで答えていた。
日本政府も何って言ったらいいのか分からないが、アントニオ猪木さんが北朝鮮と交流しているのが、あまり良く思っていなかったのかも知れませんね。
日本の政治家で北朝鮮へ何度も行ったのはアントニオ猪木さんが一番多いのではないでしょうか?
アントニオ猪木のまとめ
本日はアントニオ猪木さんについて書きました。
アントニオ猪木さんの気になる国籍についてですが、日本でしたね。
普通に神奈川県横浜市で生まれ育っており、外国籍の方ではありません。
やはりアントニオ猪木というリングネームが外国人ではないか?
このような疑問を持つ方が多いように感じます。
本名は『猪木寛至』さんですが、やはりアントニオ猪木というリングネームが浸透しすぎて、本名で言われてもあまりピンときませんね。
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。
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