高校野球の名門校である日大三高野球部について書いていきたいと思います。
日大三高野球部の監督は長らく小倉全由監督が務めてきたが、2023年3月で勇退したのはご存じだろう。
後任監督になったのが、三木有造監督である。
三木有造監督はどんな人物なのか、指導方法や経歴等も気になるところですね!
今回はどのような監督なのか色々調べてみたいと思います。
三木有造監督のプロフィール
優勝インタビュー中に涙が込み上げ、選手のお陰と話す、日大三 三木有造監督 pic.twitter.com/AfPJLKJBvD
— でんと1@Loveit (@yuinalabyrinth1) July 29, 2023
名前:三木有造 (みき ゆうぞう)
生年月日:1974年5月23日生まれ
出身地:和歌山県
投打:右投げ右打ち
ポジション:捕手
出身高校:日本大学第三高等学校
出身大学:東洋大学
三木有造監督の高校時代に甲子園出場経験は?
三木有造監督の高校時代について書いていきたいと思います。
プロフィール欄にも書きましたが、三木有造監督は日大三高の出身であります。
小倉全由前監督の教え子ですね。
日大三高といえば甲子園常連校というイメージが強いですが、三木有造監督の高校時代に甲子園出場経験はあるのだろうか?
調べてみましたが、三木有造監督は日大三高時代に、甲子園出場は春夏共に出場することができなかったようです。
当時の西東京は創価高校や堀越高校などの強豪がいましたので、中々勝ち抜くのも難しかったかも知れませんね。
当時、準決勝で堀越高校との一戦。
勝てば選抜ほぼ当確という試合にショートバウンドした球を後ろに逸らし、さよなら負けとなり、甲子園出場を逃したそうです。
今でも悔いが残るプレーとのことで、自身の経験があったからこそ、監督となった今は、選手に対して指導できるのだろう。
失敗は誰もがすることであり、高校野球では一球の怖さがある。
一度のミスで甲子園を逃してきた球児は沢山いますが、そのミスを今後どのように活かしていくかは、自身の考え方次第である。
因みに三木有造監督の高校時代のポジションはキャッチャーだったそうです。
3年時には副キャプテンとして活躍したそうです。
打順は4番バッターだったそうです。
三木有造監督の指導方法について
三木有造監督の指導方法についてですが、どのような指導方法を行なっているのだろうか?
やはり前監督の指導方法を軸に今も指導しているのだろうか?
三木有造監督は26年間の長い間、小倉全由前監督と一緒に日大三高野球部を指導してきたのである。
就任1年目から甲子園出場を決めたのは凄いことである。
長年コーチとして日大三高野球部を指導してきたこともあり、全く選手たちのことを知らないど素人でも無いし、選手たちとのコミュニケーションは今まで通りだと思います。
全くガラッと変化した指導方法にはしていないと思うので、選手も戸惑いなく練習できるのでは無いだろうか?
小倉全由前監督が指導してきた選手たちだが、それでも夏の西東京大会を勝ち抜いたのは、三木有造監督の采配が良かったからだろう。
高校野球は監督次第で変わりますからね。
ネットのニュース等を見ると、小倉全由前監督となんら変わらない日大三高野球部とのことですから、今まで通りの日大三高野球部なんでしょうね。
これからどのように日大三高が躍進していくのか、そして就任一年目での甲子園での采配には注目していきたいと思います。
新監督になり重圧もあると思いますが、それを跳ね返すような試合に期待します!
日大三高の寮やグランドは今まで通り?
日大三高には寮があり、関西の選手や関東圏の選手も寮に入って生活している。
寮の名前は『三志寮』という名前で、ガラス張りなんだそうです。
漫画のモデルになったとも言われている。
【三高野球部関係者拡散希望】
ダイヤのAに日大三高の寮と室内練習場がモデルになりました。
(日大三高ではなく、市大三高の名前で登場) pic.twitter.com/FJ2myDm3jE— Takuji Hiraiwa (@TakujiR) March 13, 2013
監督が変わっても寮やグランドについては変わりなく、今後も受け継がれていくだろう。
寮での生活ですが、動画があったので掲載しておきます。
三木有造監督のまとめ
本日は日大三高野球部監督である三木有造監督について書いてみました。
三木有造監督は就任1年目で夏の甲子園出場を決めた。
これから先、小倉全由監督が築き上げた日大三高野球部をどのように自分の色に染めていくのか、今後の活躍には注目していきたいと思います。
先づは甲子園で1勝ですね!
期待しています!
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。
下記にも関連記事がありますので、是非お読み下さい!